武蔵野舟木組 2026
小説 舟木一夫(遠い日の歌)その1第一章 遠い日の歌 その1
鏡に向かって立膝をつきながら、もろ肌を脱いで化粧をしている役者たちの姿を、成幸は母の背中越しに見つめていた。
役者たちの中には、世話物の、白塗りの旦那もいれば、黄八丈に黒緞子を掛けた町娘も居た。また所作事の権八も居れば、股旅姿のいなせな旅人も居るのだった。
終戦間もない昭和21年の事である。衣装と言っても見てくれだけの、粗末さ極まりないものだったが、、幼い成幸にとってはそれすら十分に美しい眺めだった。
「坊ちゃん、お風邪ですって!いけませんねぇそれは」
めくら縞の着流しに、長い刀を一本ぶち込んだ、旅人姿の役者が、母親にこう声を掛けた。良く通る太い声である。
「そうなんですよ、昨日から何となく風邪気味でね。お陰で甘えられてしょうがないんですよ」
母親がそう言って笑うのに、
「だめですねぇ坊ちゃん。坊ちゃんは雪の日に生まれた冬の子でしょ?その冬の子が、お母さんの背中で甘ったれるなんて、ようし、おじさんがこの刀で・・・」
わざと真剣な表情を浮かべながら、役者が芝居味たっぷりに腰の刀を引き抜いた。俗に「竹光」と言う竹の刀に銀紙を貼ったものである。「そうれ斬るぞ!」と、大上段に刀を振りかぶると、何がおかしいのか、成幸はにっこり笑った。
「あぁあ、見栄を切って子供に笑われるんだから、いくら役者をやっても人気がねぇはずだ。ねぇ、奥さん」
彼が大袈裟に頭をかいた時、部屋の中のブザーがけたたましい音をたてた。「いけねぇ出番だ」慌てて駆け出して行く、その様子がおかしかった。
「おもしろいわねぇ、あのおじちゃん・・・」
背中の成幸に言うともないしに話し掛けると、く、く、くと鳩のような声を出して成幸は笑いだすのだった。
「いやだわシゲちゃんったら、大人の話が分かるの?」母親が顔を覗き込むと、成幸は一層喜んで、体を揺すって笑い続けた。笑うとようやく生え揃えた歯の中の、八重歯がくっきり目立って愛らしかった。「あら坊ちゃん、えらい御機嫌ねぇ」通りかかった娘役の女優が、白粉を塗った真っ白な指で、成幸の頬をつついた。遠くで拍手の音がした。それはあたかも潮騒のように聞こえた。舞台では、この劇団の売り物の殺陣が始まったらしかった。