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前回の記事、スピリチュアル的に正しい「エゴにより独裁政治を行い、相手の自由意思を何ひとつ認めず、自由意思の発揮を絶対に許さず服従させるべき対象」とは誰か。で、自我エネルギーを肉体に浸透させるための一人SMプレイをおすすめしました。が、ここで言ったSMプレイという単語はいわば比喩で、ほんとに娯楽?としてのSMプレイをしてしまうと、ハズレ。え?どういうこと?じゃあ解説しましょう。自我エネルギーを肉体に浸透させる方法として、ヨガなど「自分の体の声を聞く」方法がたとえばあります。柔軟性があまりない人ならできない、痛くて悲鳴をあげる、まさに虐待ともとれるような、アサナと呼ばれるようなポーズをとる。もしくは、いつの日かとれるように修練し、柔軟性を上げていく。ここで、薄っぺらいチャチャ入れとして「あんな柔軟運動で、何が体の声を聞くだよ。それで柔軟性が上がって、グニャグニャした変なポーズをとれるようになったからって、なんだってんだ。それはあくまで体操であり、決して精神活動ではない。霊的な気づきや悟りに近づくなんてことは起きない。もし、そうなってると思うとしたら、ただの勘違いw」があるあるですよね。でも実際そのチャチャが正当な批判に当たるわけではないことは、実践者ならわかるのではないでしょうか。ここでヨガを例に出しましたが、その変化系として、たとえばヨガ以外のスポーツや武術など肉体を直接、動かすものがいろいろあります。し、そのいろいろごとに、いろいろな発見があるのはいうまでもありません(雑)。ほか、運動ではなくても、たとえば断食や、沈黙の行、禁欲など、生理現象として定期的?に訪れるものが通常とされるものをあえて意図的に阻害したり断ってみる試みがあります。これらそれぞれについても、じゃあ断食は体に悪いからすなわち誰もが少しでも断食なんてことをしたら健康を害して死に向かっていく一方なのかといえば、そうじゃないのはもういろんな事例が出てわかっています。不要だから排泄するはずの尿についても、まさかの?飲尿療法が提唱されていますし、賛否両論がいろいろあるものの、何十年たってもそれが完全な害悪だと断定される流れは起きていません。(し、みんな表向き言わないだけで、性行為の一環として尿を飲んだり、口をあけて浴びたり程度のことは娯楽としてシレッとやっている人の率が高く、それを一度でもほんの少しでもしたら即、病気になって健康を害するかといわれたらそれも全然だったりします。もっと細かくいえば、食肉の『旨み』は、肉の中の血液成分に含まれる尿の成分ですよね。肉を美味しいと思うことは、その肉のもとである豚や牛などの尿を美味しいといって飲んでいるのとほとんど同じだったりして?)あれ?でも自然な体の仕組みや欲求にあえて逆らうようなことをしているこれらの営みは、体の声を聞いていないのではないか。つまり、よくないことなのか。でもたとえば、息が上がってつらいのに、エレベーターでなく階段を使って建物を移動したりと、「これは休みたがる体の声を聞いていない自己虐待なのでわ?」と見えることをそれでも継続すると、ほんの数日のうちにも体力が向上して階段の昇り降りがラクにできるようになって息が上がらなくなったり、健康診断の結果が改善したりする。なんのこっちゃ!?体の声を無視して虐待してることになってるっぽいのに、健康になっていくぞ!?そして体の声を聞くのは大切だからと、体が欲して湧いてくる食欲のままに食べまくり、億劫だからとぜんぜん動かないでいると、あら不思議!体の声を聞いたのに、どんどん健康が害されていく。このへんがミソなんです。答えを言います。自我の支配下にちゃんとない時点の肉体は、自己崩壊につながるような変な声をどんどん上げていってしまう、躾ができていない子どもみたいなものなんです。この時点での体の声は、デタラメで支離滅裂。ヨガの鍛錬や、息が上がって苦しいのに倒れたりはしない範囲内での運動を習慣化したりの一見、肉体と対立して衝突しているかに思える営みは、実はそれこそが肉体を絶対服従させるための対話。そして肉体は自由意思を発揮することなく、自我に絶対服従して支配されている方が健全で健康で賢明になれるんです。ここでいちばん私のイメージとしてしっくりくるのは、猿回しと猿の信頼関係構築。もちろん猿回しのほうが自我で、猿が肉体の比喩です。最終的には猿は猿回しを信頼し、愛着といったものも持ち、命令に服従することをこそ誇らしく思い、ちゃんと命令が来てそれに応える自分に安心感をおぼえるものなのかもしれませんが、そうなるまでの過程はまさにSMバトル。「なんでお前の言うことをきかなきゃいけないんだ!」という猿の反発はすごいすごい。あ、これは猿以外のどの動物の調教でも同じかもしれませんね。この、「最終的にしっかり絶対服従させる支配につながり、肉体はそっちの方が、自分勝手にしているよりも絶対に良い」結果につながる営みなら、ヨガだろうと断食だろうとなんでもいいのかもしれません。あれ?それだとSMプレイそのものなんじゃない?SMプレイでいいの?いやいや違うんです。では、いわゆる娯楽としてのSMプレイ、人を堕落させるSM思想は、どこがダメなのか。SMプレイ愛好家や、そこでS役を担う人間にも思想のバリエーションはあると思うのですが、どうやらよくあるパターンでかつ、霊的にみて誤謬側、悪魔的な誘惑としての堕落へのささやきになる代表例が「理性で考える『自分はちゃんとした人間だ』という考えこそニセモノで、本当はお前は、どうしようもなく淫らで、普通の人なら恥ずかしいと思ったり嫌だと感じることをさせられて喜ぶ変態マゾという劣等な存在なんだ。それがお前の本性だ。その本性に素直になれ。自分がマトモな人間だという思い込みを捨てて、この世の最底辺の下劣で下等な生き物であることを自覚し、受け入れろ」という、どんどん自尊心を堕としていくスタイルのようです(ね?←詳しくないのであんまり正確に界隈の感覚を掴めてないかも)。これも、あくまでごっこ遊び、演技として捉えるという精神的な区切り?をM側ができていれば、お芝居みたいにいくらでも遊んで「楽しかった」で問題ないんですけど。プレイの域を超えて、本当にMという性質の人間はマトモで普通な人間よりも劣った下の存在で、なにもかもができておらず、羞恥や痛みなど、普通なら避けたいと思うことを欲する変態なのだ、異常でダメな存在なのだと捉えているとヤバめ。これ、べつにたとえば裸にさせられる羞恥に興奮をおぼえるのが変態でよくない、など個別のシチュエーション?萌え?に対して常識的じゃないからダメだといっているわけではありません。霊的摂理に照らして端的にどこがいけないかというと、「(霊的な意味での自我エネルギーが浸透してその支配下に置かれる前の)肉体の上げる声こそが本性なのだ」と捉えている点。これは完全に、真理の真逆です。これまでに述べてきたとおり、自我エネルギーが浸透する前の肉体は、たとえば食べ過ぎるとよくない美味しい味の食べ物という刺激に晒されると、それこそ自制心のない子どもやだらしない大人のように際限なく食べて肥満化したり病気を発症したりして健康を崩してしまいます。これのいわばSMプレイ版として、たとえば痛みや屈辱、羞恥など本来ネガティブに脳(←これも肉体のうちなんですよね)が捉えている行為をされながら、同時にたとえば性的な刺激を加えてもらえて快感も得られるなどの体験を繰り返してすりこまれてしまうと、パブロフの犬状態で、そりゃ脳は学習してしまいます。なので、その思考回路ができあがってしまった後では、たとえば鞭で叩かれるだけで性的に興奮して男性であれば性器が勃起するなどもして、女王様などS役から「お前は変態ドMだよ!」と言われ、それを本人が鏡で見て「あぁ本当だ、私は鞭を打たれて性的に興奮するドMの変態ですぅ」みたいな思考がより強化され「これが自分の本性なんですぅ」と認識するようになったりするわけですね。この調教の流れは、自我エネルギーが浸透する前の肉体が美味しい食べ物を味わうと虜になり、どんどん欲して、その体の声に忠実に食べまくると肥満化で健康を損ねる流れと同じことがおわかりでしょうか。自我エネルギーが浸透していない時点での肉体の学び、その結果としての「体の声」は、いくらでもロクでもないものになるんです。これだと、主従関係が霊的な摂理上の望ましさと真逆で、肉体の方が主人になってしまい、それに自我が執事のように迎合してワガママなお坊ちゃんお嬢さんの言いなりになっています。この誤謬をこそ、「お前の本性だ。それが本音だ。真実だ」と焚き付け、信じ込ませる。これが人を真実から遠ざからせ、むしろ堕落に突っ走らせる、悪魔の罠。SMが黒革ボンデージスーツなど悪魔的な連想をさせる服装と共にイメージづけられているのは、まさに道理といえそうですね。この変化球版として、SMを良くないものと捉え、冒頭に述べたヨガなど「自我エネルギーを浸透させることで肉体を絶対服従させる」霊的に正当な方向で修練を積む人のことを「うわぁ、修行系のドMwwwwwww」と嘲笑し、その営みが間違っていると錯覚する方向性での悪魔的な囁きもありますよ。「苦しみや不幸がないのが望ましいスピリチュアルのあり方なのに、あんな汗だくで息ゼエゼエさせて苦しむのは、間違っている!」と思うと、いかにも自分は正しいことを言えているような気になっちゃいますもんね、頭の弱いウマシカだと。そしてその間違ったことをするような愚かな人間にはなるまい、と正当な修行を避けるから、いつまでも真理に到達できず霊的成長も実現できないまま生まれ変わり続ける無限ループw前回の記事の最後で、モヤる人がいるだろうなということを匂わせる終わり方をしていたのは、この記事でいうようならへんが整理ついてないと混乱するだろうなという思いからでした。ねー、ほんとにこの世は誤謬だらけ、悪魔の誘惑だらけ。でも、学校のテストなどでもそうでしょう?特に数学や物理などの自然科学科目では、計算の答えはたった一つ。その、たった一つの答えを書けたときにだけ、◯がもらえて点数になる。それ以外のありとあらゆる記述は、全部✖️。不公平に感じる?厳し過ぎるんじゃないかって?そうね、主観でそう思うのは、個々人の勝手だし自由よね。でも、世の中そういうものなのよ。たったひとつの正解以外は、全部、間違いなの。厳しすぎて無理?だったら誤謬だらけの0点を気にせず、悪魔にでもなんでも誘惑されて、「なんでもいいや、どうでもいいや」と割り切っちゃったほうがいっそ、幸せかもね〜?そうする自由もあるのよ?そうした結果どうなるかの責任をぜんぶ、とる羽目になるけどそれでいいなら、どうぞどうぞ。ご自分の好きに生きるがいいわ。輪廻転生は永遠だから。カルマシステムは完璧ですし。 Tweet 関連記事
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